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「本能寺の変 その壱」1582年
作:中井たかし
(明智光秀が起こした謀反。野望説、怨恨説、黒幕説、四国討伐回避説など諸説入り乱れ、定説はない)
桂川を渡ったところで、馬上の明智光秀は尻を浮かし、苦悶の表情を浮かべた。
「いかがなされました、殿」
「うむ……実は辛くてたまらん。しかし、耐えねばならぬ。相手は、ほんの、痔じゃ」
「やはり、そこまでお辛かったのでございますか」
「おまえは知っておったのか」
「何年、殿に仕えているとお思いですか。恨みを晴らす時は、今。今こそが、討伐の好機でございます。敵はすぐそこに!」
「うむ。敵か。そうだな、わしにとっては今や一番の敵じゃ。すぐ手の届く場所にありながら
どうにもならん存在と思っておったが、やはりこのまま放ってはおけぬ。切るか」
「殿、よくぞご決断を。では御免」
家臣は一礼すると、馬を勢いよく走らせた。そして、皆にこう叫んで回った。
「敵は本能寺にあり! 信長の首を取れい」
「おいこら、待て待て。聞き違いじゃー」
「本能寺の変 その弐」1582年
作:中井たかし
(明智光秀が織田信長を奇襲。兵力の差は歴然で、信長は果敢に槍や弓で抵抗するも最期は自刃する)
備中高松城を攻めていた羽柴秀吉を援護するため、織田信長は出陣し
その道中、京の本能寺に泊まった。
そこでこういう噂を聞いた。
徳川家康が別人だと。
ならば、嫡男信忠も……。
第一に、あれほど好きだった能のことをまったく口にしなくなったではないか。
確かに能道具を取り上げ謹慎はさせた。
にしても……。
蘭丸は何か掴んだであろうか。
そこに蘭丸が駆け込んできた。信長はとっさに聞いた。
「信忠が別人か」と。
しかし、何ということか。蘭丸はこう返答した。
「いえ、上様。明智が別心(謀反)と見えます」
何と別人は光秀だったとは!
そういえば、近頃の光秀は……。
どこでいつ入れ替わったのだ。
が、今さら考えても詮のないこと。
「上様!」
「あ、ああ。是非に及ばず」
しかし、これまでわしを欺いていたとなれば、懲らしめてやらねばならん。
奴はどこぞ。
信長は槍を手に猛然と部屋を飛び出した。
「中国大返し」1582年
作:中井たかし
(光秀討伐のために敢行した秀吉軍の十日間に亘る大移動。岡山から姫路を経由し、秀吉は富田に着陣)
ううむ、歯が痛い。なんとかならんものか。
羽柴秀吉の顔は激痛にひどく歪んでいた。
信長自刃という衝撃的な報せも、この歯痛の前では霞んでしまう。
一方、黒田孝高はすでに、信長亡き後の次の一手を考えていた。
秀吉ににじり寄り、笑みを浮かべてこう囁いた。
「新たなる覇王、殿ならば夢ではございませぬ」
新たなる歯を? そんなことができるのか。しかし、有能な孝高のことじゃ。
歯をそっくり入れ替える高名な医者を知っておっても不思議ではあるまい。
秀吉はそう思った。
「手はずは整えております。一刻も早く富田へ。心配はご無用。名馬奥州驪(おうしゅうぐろ)をお使いくだされ。さ、お急ぎを」
「うむ。毛利との和議は任せたぞ」
秀吉が手綱を引くと、奥州驪は猛然と駆け出した。
その速いこと速いこと!
「まさに名馬の走り。が、揺れがたまらん。歯に響く。新しい歯のためじゃが、イテテテ。
富田まではもたんぞ。とりあえず姫路で一休みじゃ」
「山崎の戦い」1582年
作:中井たかし
(明智光秀と羽柴秀吉が交通の要所、山崎の地で激突。明智軍は総崩れとなり、勝龍寺城に敗走する)
備中高松城を水攻めしていた秀吉が、想像を絶する速さで駆けて来た。態勢が整わないまま、光秀は秀吉を迎え撃つことになった。
戦況は光秀にとって著しく不利になってきた。光秀は唇を強く噛むほどに苦悶している。
「殿。ここは退却するしか……」
家臣は進言したが、苦痛のせいで光秀の耳には届かない。
苦悶の正体は痔だった。
収まっていた痔が再び悪化し、戦どころではないのだ。
痛くて堪らない。
光秀は、しまいには「いやだ」と泣き言を口にした。
「しかし、殿。ここは退却しかないかと」
「いやなのだ。痔がイヤなのだ」
「自害、ヤなのは当然のこと。だからこそ、ここは勝龍寺城に一端退却を! 態勢を整え、再度攻撃を仕掛けるのが賢明かと。殿、そうすべきです。いや、それしかない! 皆の者、引けー引けー、退却じゃー」
「おい待て、皆どこに行く? わしは歩くのも辛いんじゃ。おお、イタタタタ」
「清洲会議」1582年
作:中井たかし
(信長の後継者と領地分配を決めるため尾張の清洲城で行われた会議で、豊臣秀吉をはじめ重臣4名が参加)
信長の嫡孫三法師(さんぽうし)か、三男信孝か。織田家の家督はなかなか決まらなかった。
三法師を推す秀吉はすくと立ち上がり、「ここは気分を変えて散歩して決めないか!」と提案した。
頭上から落ちてくるその声には有無を言わせぬ力があった。
丹羽長秀と池田恒興は顔を見合わせ「うむ。羽柴殿がそこまで言うのなら」
信孝をと考えていた柴田勝家はわなわなと震え出し、「わしは認めんぞ」と呻いている。
「柴田殿は散歩して決めるのが、そんなに嫌なのか。なぜ、それほどまでに嫌悪するのか」
秀吉がほうれい線を深く刻み、柔らかく言う。その口調には、すでに覇王としての風格が漂っていた。
勝家は自身の敗北を悟った。
「な、な、なにを申す! 嫌悪などとは……。わしも……三法師様で、かまわん」
「え? まことか。三法師様でよいのか。ならば散歩は取りやめじゃ。
丹羽殿、池田殿。柴田殿が三法師様で合意してくださったぞ」
「へ?」